tetsuです。
最近繰り返し頭の中を流れるフレーズ⇒「どちらに転んだとしても~、それはやはり僕だろう~、このスニーカーの紐を結んだならさぁ行こう~」
Mr.Childrenの「優しい歌」ですが、僕の頭の中ではbankbandのゆっくりバージョンの「優しい歌」です。私はMr.Childrenが大好きです。特に歌詞が好きです。
最近書き始めたこのブログでも、仕事での重要な判断でもそうですが、じっくり考えようと時間をかけすぎることによって、逆に、世間体や、自分の損得や、他人の意見など、自分の本心ではないことを判断にドンドン織り交ぜてしまっていることが多いと感じていて、エイヤーって決めることが多いです。それを感じる時にこのフレーズが頭をよぎります。今まで、上手くいったことも大失敗もいろいろとありましたが、結局全ては「それはやはり僕だろう」って捉えるしかないのでしょうね。
前置きが長くなってしまいましたが、筋肉に関する内容をまとめたいと思います。
家族、親族、仕事関係、友達など、世間の様々な人間関係のなかで人は生きていますが、自分の周囲の人に迷惑をかけずに生きること、生きようとすることは、社会貢献、他者貢献の手前にある大前提だと思います。そのためには自分の足で動き続けられる身体を維持する=老化による筋力低下に対して言い訳せずに、人間的に立ち向かうことが必要だと思います。
100年以上前は車やバイクや自転車や電車が無くて、人は移動で歩きまくっていたと思います。でも現代は急変して、自分の力で動くことが極端に減っています。昔は歩くしか無かったのが、今は歩いたら損って感覚が蔓延していて、乗り物が当たり前の時代です。これでは動かない人はドンドン衰えていくのも当然ですよね。
それに、世間一般の認識として、「筋トレはボディビルダーやスポーツ競技者が特別にやること」と感じる人は多いのではないでしょうか。それと同時に「老化は当然なのだから抗っても仕方ない。楽して楽しく生きて、動けなくなったら介護保険のお世話になったらエエやん。保険金も払っているし。」って考える人も多いのではないでしょうか。
筋肉ドクターはずっと言っています。「人間は20歳を過ぎたら確実に衰えていく。それに抗うには筋肉を強化するしかない。それを達成できる合理的な方法を見つけ出した。でも、医師として多くの人に指導してきたが、ほとんどの人は楽する事を優先して、言い訳ばっかりで、その方法を実践しようとしない。やる気があれば誰でも出来るのに、日本人の魂は腐ってしまったのか。」って。
この意見に私は全面的に同意します。私としては御縁があって私を少しでも信じてくれた人には少しでも恩返しをしたいし、その手前でその人たちに迷惑をかけたくないし、下半身の筋トレはそれを達成するための必要な努力であると認識しています。その必要な努力を特別視して遠ざけたり、楽したいから言い訳して怠ったり、そういうことはしたくないですね。
私はお互いが相手の幸福を考えて、その為に積極的に行動できる人たちの世界で生きていたいと思います。それが天の世界なのではないかと思います。逆に、自分の快楽と利得を優先するために他者を食い物にしたり、食い物にした他者から復讐にあったり、他者から食い物にされることにビクビクしながら生きていたりって、それこそ地獄の世界では無いでしょうか。

コメント